ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

地籍調査の沿革

印刷用ページを表示する更新日:2017年9月21日更新 <外部リンク>

1.班田収授法(701年)

大化の改新における土地の調査「班田収授法」の資料によると、大化の改新(646年)において行われた班田収授のための土地調査が最初のものとされています。
当時は、区画された耕地の位置を定める方法として、条里坪制という方法が用いられ、天平14年(742年)には、ほぼ全国的に統一された班田図が整備されました。

2.荘園制の発達(800年代)

大化の改新によって持ち込まれた土地の公有制は、その後、田地の不足から開墾が奨励され、開墾地の私有化が認められることになったことによって、崩れ始め、荘園制が発達するようになりました。

3.太閤検地(1582年)

近世封建社会における土地の調査封建領主の財政が農民の貢租(税)に頼っていたころから、耕地面積を正しく調査するための検地に力を注ぐようになりました。これが統一的な方法によって全国規模で行われた日本で最初の土地調査です。
しかしながら、この時代の測量は、現在からみると誠に不正確なものでした。

4.地租改正(明治6年(1873年))

明治時代における土地の調査地租改正条例の発令(1873年)によって、従来の村単位での物納による貢租から個人単位のお金による納税制度に改められることになり、土地の面積、位置関係、地番等を明確する必要が生じたため、改めて土地の調査、丈量の作業に入りました。その結果として「野取台帳」と「野取絵図(通称:団子図)」が完成しました。

5.公図の作成(明治20年(1887年))

公図明治6年に作成した図面は、現在でも登記所に備え付けられている字限図の基礎となっているものですが、現地と不突合のものが多かったことから、明治20年に「地図更正の件、町村地図調整及び更正手続」が布達され、再び全国で地押調査及び丈量の作業に入りました。これによって完成した図面は、一般に「公図(地図に準ずる図面)」と呼ばれ、地籍調査の行われていない地域では、いまだ利用されています。公図は、分見略器という現在の平板測量に近いもので、土地一筆ずつ測量しながら、字の区域ごとの公図(字限図)を作成し、さらにそれを村単位にまとめて村限図としたものです。精度は、やはり現在のものに比べると劣っています。

6.地籍調査(昭和26年(1951年~))

地籍図第2次世界大戦により疲弊した日本を再建するためには、国土資源の高度利用が不可欠でした。しかし、その前提となる国土に関する基礎資料が整備されていなかったことから、まず、国土の実態を正確に把握することが強く求められました。現在の地籍調査は、このような背景の下で昭和26年に制定された「国土調査法」に基づいて行われています。効率的で精度の高い測量で作成された地籍図は、個人の土地取引から公的機関による地域の整備まで、およそ土地に関するあらゆる行為のための基礎データとなっています。(通称:不動産登記法第14条地図(地籍図))
山口県では昭和28年(1953年)から始められています。特に、山口県においては、明治初期の土地調査で、山林地の公図が作成されなかったという特殊な事情があり、年々、山林の精通者が減少する中、財産保全上、山林部分の公図がないことに不安を抱いている土地所有者も多く、地籍調査事業の早期完了が必要となっております。

7.近年の地籍調査

トータルステーション最近の地籍調査は、コンピュータ等の電子技術を利用した、角度と距離を同時に測定するトータルステーションのほか、GPS(Global Positioning System)と呼ばれる人工衛星からの電波を受信して位置を決定する宇宙技術を利用した測量方法で行われています。これらにより、効率的で精度の高い測量ができるようになりました。