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市長公舎へようこそ

印刷用ページを表示する更新日:2017年5月10日更新 <外部リンク>

市長公舎へようこそ

市長公舎

周南市長公舎

市長公舎は、大正15年に海軍燃料廠の廠長官舎として建てられ、昭和20年の終戦を迎えるまで歴代の廠長が住まわれていました。
二度にわたる徳山大空襲を免れたこの木造住宅は、戦後、徳山市が払下げを受け、市長公舎として使用してきました。
平成19年度、市長公舎が本市の歴史を語る上で欠かせない建物であることから、市民の貴重な財産として後世に引き継ぐとともに、優れた建造物の積極的かつ有効利用を目的に、建物が建てられて以来、初めての大掛かりな改修工事を実施いたしました。
市長公舎は、洋館部分と和館部分を併せ持つ、大正時代を代表する和洋折衷の木造住宅であり、建物のいたるところに様々な特徴や工夫が施され、当時の暮らしや時代の面影、趣きを見ることができます。

市長公舎の新たな歴史のスタート

こうしたことから、市では公舎として引続き使用するとともに、木造住宅としての利点や特性等を生かした新たな取組みを進めています。
近年、エコロジーの観点や「住まい」本来の持つ魅力から、注目を浴びている木造住宅に関心を持っていただく施策など、「住まい」に係る様々な情報を発信していく施設として活用していくこととしています。

施設概要

市長公舎の施設概要

(1)市長公舎の場所

周南市慶万町3番15号<外部リンク>

(2)敷地面積

1685.21平方メートル

(3)建物の構造・床面積

種類

居宅

構造

木造瓦葺平屋建

床面積

273.70平方メートル

建築年

大正15年

(4)施設の概要

建物は木造瓦葺平屋建で、敷地の正面に洋風の門とロータリー(車寄せ)が設けられ、表側に洋館、その後方に和館が続いています。
南側には池のある和風の庭が広がっています。

平面図[PDFファイル/249KB]

※市長公舎には市長が公務として利用したり、いろいろな活動を行う公邸部分と、市長が住まいとして使用する住居部分に分かれています。
※ここでは、セキュリティやプライバシーなどの関係から公邸部分のみを表示しています。

建物の特徴

全体的な特徴

大正時代を象徴する典型的な建築スタイルである洋館部分と和館部分を併せ持つ和洋折衷様式を採用しています。

市長公舎市長公舎市長公舎

洋館部分の特徴

洋館は、応接間、玄関、便所などによって構成され、外観の切妻屋根の妻壁に見られるイギリスのチューダー様式のハーフテンバーと玄関ポーチの円柱が特徴的です。
ポーチの屋根を支えるトスカーナ式の円柱には、徳山産の御影石が使用されており、当時としては廠長官舎にふさわしい玄関構えとなっています。
外壁の煉瓦調と黄土色の化粧タイルも大正の建物らしく美しく映えています。

市長公舎市長公舎市長公舎

応接間の特徴

高い天井は、格式の高い折上げ格天井で、内壁は木摺下地の白漆喰壁です。
天井板、腰板、ドアなどにはベニヤ(薄板)が用いられています。
正面と南側には、二連の上げ下げまどが設けられています。

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和館部分の特徴

和館は、この建物の最後部にある寄棟屋根の棟と、その棟の洋館の中間にある繋ぎ屋の棟で構成されています。
繋ぎ屋の部分は洋館とともに、廠長官舎として使われていた当時、公的空間であり、床の間のある10畳と次室10畳からなる二間続きの座敷があり、これに玄関が突出しています。
10畳の二間に設けられた欄間は大変装飾的です。

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南側廊下の特徴

縁側の長い丸太をそのまま使った桁は、現在は大変貴重なものとなっています。

市長公舎市長公舎市長公舎市長公舎

※なお、上記内容は山口県文化財保護審議会委員の福田東亜氏や徳山工業高等専門学校の木村武馬教授と中川助教から提出された市長公舎についての意見書等からの記述をそのまま引用しています。

前庭には心字池(現在は水が張られていませんが、以前は水を有していました。)等が配置されているとともに、前庭や公舎の周囲には仕立松をはじめ、山モモ、ソテツ等の高木や中木、低木が植えられており、市内でも有数の庭の様相を呈しています。

庭や公舎周囲に植えられている木々

  • 仕立松12本
  • 山モモ10本
  • カイズカイブキ6本
  • ヒマラヤスギ1本
  • トショウ1本
  • モミジ・キンモクセイ10本
  • ソテツ一式
  • ツツジ低木一式

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市長公舎の歴史

年月日事項・内容備考
大正15年2月24日竣工第三(徳山) 海軍燃料廠長官舎として建てられ、終戦まで歴代の海軍燃料廠長が入居し使用していました。
海軍燃料廠は、現在の石油化学コンビナートが立地する海岸沿いに設置され、今日の周南市の発展の基礎となったと言われています。
昭和20年5月10日
〃 7月27日
2度の空襲により旧徳山市の市街地の約8割が焼失
(第1回目:5月10日)
海軍燃料廠が重点的に攻撃を受ける。
(第2回目:7月27日)
市街地が重点的に攻撃を受ける。
この2度の空襲により市街地の主だった建物のほとんどは焼失しましたが、この中で焼失することなく残った建物のひとつが海軍燃料廠長官舎、つまり現在の市長公舎でした。
(※今は面影がありませんが、官舎の前庭の洋館前あたりには6畳程度の防空壕が掘られていたとのことです。)
昭和20年8月28日終戦後の閣議決定
管理が海軍省から大蔵省に移される。
 
昭和21年2月徳山市長として3代目の玉野市長が入居大蔵省から一時使用の許可を得て、公舎としての使用が開始されたものと思われます。
(山口県文書館の資料による)
昭和25年4月28日  大蔵省から払い下げを受ける。 

その後、今日に至るまで旧徳山市の歴代市長等が入居しておられました。[PDFファイル/11KB]

新たな歴史のスタート

年月日事項・内容備考
平成20年3月大正時代に建てられて以来の大規模な改修が完了3月23日、関係者ほか多数の方々をお招きして改修完了披露を行いました。
平成20年10月23日国の登録有形文化財として登録を受ける。

洋館部分と和館部分、それぞれ特徴が異なるため、「周南市長公舎洋館」、「周南市長公舎和館」として2つに分けて登録を受けました。

こうしたことからも、今後、市では市長公舎を大切に保存・管理し、後世に継承していくことにしています。

登録有形文化財登録証
洋館部分

登録有形文化財登録証

和館部分

登録有形文化財登録証

登録有形文化財登録

市長公舎へのアクセス

JR徳山駅から徒歩約20分、慶万町バス停から徒歩5分程度です。<外部リンク>
※公舎の駐車スペースは利用することができまません。バス等をご利用ください。

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